ご紹介

 この度、卓球部の名誉顧問である井上アヤ子先生の随想が通信教育部の雑誌『学光』平成20年2月号に掲載されました。井上先生は本学の教育学部の教授であり、87年より卓球部顧問、97年に名誉顧問に就任されています。長期にわたり、陰の存在で、卓球部の発展に尽力していただいております。日頃より、私たちを応援してくださっている全国の方々、また卒業生の皆様に感謝の意を込めて、井上先生の随想を掲載させていただきます。

                        
 □随想□                 激励の偉大さ       教育学部教授   井上 アヤ子

  第77回全日本大学対抗卓球選手権大会が2007年8月2〜5日 尼崎市記念公園総合体育館にて開催されました。この大会には全国から48大学が出場、うち関東代表が10校(関東学連登録54校)、この中に創価大学の女子卓球部が堂々今年は4回目の出場です。どんな条件が揃って出場可能になったのでしょうか。

 長年学生スポーツ競技に携わって来た私にとっては、ただ驚きでした。何故なら、他大学では出場選手がほぼスポーツ推薦選手で占めているのが一般的だからです。

 創価大学でのスポーツ推薦試験種目に「卓球」は含まれておりません。それなのに何故、全国大会出場を勝ち取ることができたのか。卓球部発足当初に関わった一人として、又ここまで結果を出した関係者を称えたい思いから、それらの要因がどこにあったのか、ここに紹介したいと思います。

 先の大会の前日、創価大学通信教育部を卒業し、現在中国に留学中(浙江大学)のNさんが中国浙江省から関西空港に降り立ちました。彼女は創価大学女子卓球部のコーチとして4年間、大事な全国大会のベンチ入りのための一時帰国でした。大会結果はリーグ一回戦が近畿大学(過去優勝歴有)とリーグ二回戦が金城大学(強豪校)と善戦し敗退。それを見届けたNさんは翌日中国へ帰国。

 Nさんは小さい頃から『卓球』と共に育ち、全国中学ではベスト16位、卓球名門高へ進学し厳しい訓練を受け全国大会等で活躍する選手に育ちました。その後、卓球名門大への道はあったものの母親の勧めで創価大学を受験するが不合格。その時卓球部員と練習、ぜひ創価大学で卓球を通して係わりたいと。現卓球部のT監督の勧めもあり、通信教育部に即入学。

  その後Nさんは大学内で働き部活と学業を継続。Nさんが入部した当初卓球部は4部。常にポイントゲッターとして部を引っ張り4年間卓球部員として個人(全国2回)、団体(全国3回)と結果を出しました。Nさんが入学の時。創立者に誓った事は「創価のゼッケンを掲げ、全国大会に出る」この密かな、そして難しい誓いは影の応援も有り、達成されたのです。

 彼女からの刺激を受けた男女部員達は共に厳しい練習の日々を経て現在3部に昇格しております。全部員が共々に成長している姿。創立者が広く道を拓いて下さった証であると実感している一人です。

 特に、ここまで部の勝利に大きく関わった影の存在があります。先ずNさんには母親の存在です。Nさんのお母さんはかつて全国実業団卓球選手でした。時折、彼女に語った言は「卓球で世の中のお役に立って欲しいと祈っていたの」親子で共に卓球の通して夢の実現です。お母さんも選手の時、池田先生と感激の思い出が。それは「卓球のなさるんだと知ったお母さんは、無心で先生に卓球ラケットをお届けし、その時思いもよらない激励を頂く」と、願いが娘Nさんの人生に形と成りました。今Nさんの戦いは中国で語学と卓球で世界の留学生と友好を。

 現在の創価大学卓球部はT監督抜きには語れません。強い一念で卓球部員を技術的にも、精神的にも、経済的にも支え、訓練し、結果を示してきたT監督。部員に絶大なる信頼と威厳を示し、いつも大きい勝利の為には今何をと思索し指導。学生を育て結果を出すT監督の熱き思いはどこから。

 思えば、T監督が創価大学卓球部監督に就任したのは平成9年。卓球のキャリアは10代から。学生時代は関東一部リーグ某大学のレギュラーとして、関東新人戦ベスト16、全日本学生選手権2回出場善戦。

 その当時(昭和55年9月)ある出来事がありました。創価大学中央体育館にて埼玉県のスポーツ大会が開催され、会場は満杯。その中央に1台の卓球台。会場の全ての人がその台に集中。中で池田先生と若い女子学生が試合中。

 当時と様子は「卓球会場の台近い椅子に友人と腰掛けていた私達に、先生が『どっちが強いの?』と声を掛けて下さいました。間髪入れず「ハイ、私です」と手を挙げ。その後、先生と1セット21本のゲームを2回行いました。ラリーの末、1本を粘り取る私に、先生は何回も何回も『本当に強いね。本当に巧いね』と声を掛けて下さいました。『オーッ』と気合いを入れながら打ち込む先生のスマッシュを、動いては何度も返し、お腹で返す等のパフォーマンスに熱気ムンムンの会場はどっと大笑い。

  こんなに楽しい卓球は初めて、ひと時が流れた時、先生との試合は終了。そして、先生は『本当に強いね。またやろうね』と握手をして下さいました。」

 T監督と創立者との出会い。忘れもしない光景です。何故ならば私も同じ会場にてこの空気を吸っておりました。その日からT監督は卓球の指導者として役立つ人生を決意したとの事です。現在、高校の国語教諭の職に在りながら、1時間半掛けて創価大学卓球部の練習会場に、今年で10年T監督の姿はあります。その行動には、頭が下がります。

 創立者のご指導「戦い抜く執念を貫き通した人」の姿をT監督に見ます。そして、創立者の激励の偉大さを感じます。


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